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聲の形



『聲の形』



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君の名は。』の熱も冷めやらぬ中、ついに上映された京アニの自信作


聞くところによると、映画は同時期に別に人気作があるからといって、それが原因動員数が少なくなることはまずないそうです
それどころかむしろそのおかげで動員数が伸びることがほとんどだそうで

君の名は。』のブームは『聲の形』にとっても追い風といえるでしょうね






  ■ 抉るような切り口で話題を呼んだ怪作




無題





聲の形』は紛れもなく「エリート漫画」です



作者の大今良時が18歳の頃、マガジンの新人賞に投稿したのが本作

強いテーマ性とそれを印象付けるだけの確かな演出力に、編集部では絶賛の声が相次いだそうです


しかし障碍者への配慮に気を取られがちなこの世の中、聴覚障碍者への虐めを取り扱う作品はまさに爆弾のようなもの
そういった経緯で本誌への掲載は見送られることとなりました



その後大今良時が描いたのは『マルドゥック・スクランブル』のコミカライズ

原作者の冲方丁といえば当時はまだ『天地明察』で話題になる以前でしたが、それでも『マルドゥック』はかなりの人気を集めた名作です

そのコミカライズを任されるということは、マガジン編集部の間で大今良時が大変評価されていたのだろうと推測できます


さて、『マルドゥック』の連載も無事人気を集める形で終了し、ついに長らく伏せられていた『聲の形』が掲載されるときがきます
本来ならば『マルドゥック』以前に掲載されるはずだったわけですし、まあ真のデビュー作といえるでしょう


掲載されるのは新人賞に応募したものの改稿版
それも投稿した「別冊」のマガジンではなく、最も注目を集める「週刊」のマガジンにです


あまりの「トントン拍子」っぷりに出来レースなどと批判される声も少なくありませんでした


本当に期待できるのか……そういった不安も少なくない中、掲載されるや否や、たった一作の読み切りとは思えないほどの大反響を巻き起こします

物議を醸す内容と心を抉られるようなリアリティとに、心を揺さぶられる読者が続出


批判を実力でねじ伏せる形となり、漫画家・大今良時は鮮烈な"デビュー"を飾りました



この反響を受けた編集部はすぐさま『聲の形』の連載化を決定


数々の賞を受賞しながらも、最終話では「劇場アニメ化」が発表……



……といいますように、原作者・大今良時は「エリート漫画家」であり、『聲の形』は「エリート漫画」なのです


たまーにこういった漫画家が現れます
若いうちに賞を受賞しデビュー作からヒット、続く次回作でもその実力を遺憾なく発揮……

一言で片づけてしまうのは失礼かもしれませんが、天才というやつですね



さて、そんな注目作の『聲の形』を京アニが劇場アニメ化するというのだから話題性は抜群


監督は『けいおん!』をアニメ化した山田尚子

実はこの山田尚子もアニメ監督としては異様なほど若く、とくに『けいおん!』を監督した当時は20代前半だったというのですから驚きです
つまりはこの人も「エリートアニメ監督


そして京アニといえば制作の大部分を自社で行うという特殊な環境ながらも、制作したアニメは軒並みヒットさせるという「エリート制作会社



そんなエリート漫画家」の「エリート漫画」を「エリートアニメ監督」が「エリート制作会社」で映画化するというのだから、当然注目が集まります



君の名は。』に目を向ける人が多い一方で、こちらにかかる期待も決して低くはない、いやむしろかなり高かったといえましょう






  不快感のない共依存








ストーリーは石田西宮、二人の男女を主軸に進められます


小学生時代に西宮を虐めた経験を持ち、西宮を楽しませることでその贖罪を果たそうとする主人公・石田

一方で、自分を虐めた石田がかえって虐めの対象になってしまったことなどから、「自分と関わると不幸になる」などといった強迫観念に狩られる西宮


高校生になって再会した彼らが関わっていくうち、次第に周りに仲間が出来始め、長らく人との関係を閉ざしていた石田と西宮が心を開いていくようになります


しかしある出来事をきっかけにその仲間関係は崩壊

石田は西宮以外の仲間を拒絶し、西宮はそのことでまた「自分のせいだ」という思いに狩られます


ついに限界に達した西宮は飛び降り自殺という道を選ぼうとしますが、そこに現れた石田が身代わりとなって必死に助けに入ります

重症を負って入院する石田を気に病み、また自分を責める西宮


しかし石田はそんな彼女にこう声をかけます

「君に、生きるのを手伝ってほしい」



……というのが映画を通して発展した彼らの関係の流れかと思いますが


西宮への贖罪を続けることによって過去の自分を赦すことができる石田

石田に「生きるのを手伝う」という居場所や存在理由を作ってもらうことによって自責の念から逃れることのできる西宮


まあどう見たって共依存なわけですね



しかし自分はこの共依存という結論を間違っているとは思いません

結局のところどうしたってすっきり解決できない心の問題というのはあるわけで、共依存という普通なら否定的に描かれがちな関係を続けなければいけないこともあるんじゃないかと



なんだか『聲の形』は「聴覚障碍者への虐め」がテーマに見せかけて、「コミュニケーションの難しさ」というのが意図したテーマだったそうですが
自分としてはこの映画では「共依存の肯定」が一番テーマとして当て嵌まっているかなという感想でした


何をどうやっても石田が西宮を虐めたという過去は消えませんし、石田は贖罪を続ける間しか自分を赦すことはできません
対して西宮は聴覚障碍を持つ以上はこれからも自責する場面に直面することはあるでしょう


君に、生きるのを手伝ってほしい

この台詞は、二人の後悔と自責を同時に追いやるものとしてこの上ない台詞だったように思います


ああいう場面で大抵のない作品は愛が世界を救うと言わんばかりに抱きしめたりなんだりで誤魔化しがちで、しっかりと選んだ言葉で結論を出すのはとても技量を問われることなんですよね






 ■ 圧倒的な描写不足




さて、これは映画を見た人全員が思ったことと思いますが……


川合と真柴いらなくない?




かわい


ましば



映画を通した印象としては
川合は典型的な自己保身の天然クズで、真柴に関してはいったいなんのためにいたんだか分からない影の薄い奴って感じでした


この二人に関しては別段石田や西宮と仲が良さそうにしてるわけでもなく、一緒に遊園地にいって、諍いが起こってすっと離れていって、最後に仲直りしてめでたしめでたし、みたいな

この程度の関係の奴らと仲直りしたことで石田は前向きに生きていけるようになりましたって言われても、その程度の病み具合だったの?としか……


とくに川合にいたっては最後まで断罪らしい断罪もされることなく(植野に的確に図星を突かれてましたが、無自覚故に川合としてはノーダメージでしょうし)、千羽鶴折って仲直りっていやいや



これならば川合は小学校時代のみの登場にして、真柴はそもそも存在を消した方が良かったのではないかとすら思います





もう一つ気になるところがあって


植野が大分都合の良いキャラな気がするなーと


うえの



というのも、植野が石田を気にかける根拠が薄いのが問題なんですよね


たとえば、石田が西宮を気にかけるのは分かります

西宮を虐めていたけど、補聴器の件で初めてお金という形で損失を出し西宮と自身の親への負い目が芽生え、自身が虐められることによって虐めを受けていた西宮の心情を理解するようになる……

心を閉ざして西宮への贖罪に砕身するのに十分な根拠があるといえます



対して植野は……
え、石田が好きだから? それだけ?


虐められた側の気持ちなんて虐められたことのある人にしか分からないし、だからこそ傍観していただけの植野があそこまで石田に深く同情するのも不自然に感じてしまいました


それに小学校時代から植野の気持ちは石田に向いていたそうですが、当時の石田はただの無邪気で残酷な虐めっ子ということもあり、植野の恋心は小中高校生にありがちな「カーストトップに抱く憧れ」でしかなかったと思うんですが……
(植野もカーストトップだったろうから、この場合は憧れというよりかは同族意識に近いですかね)


という理由で植野が石田の人間性に対して好意を抱いてるようには思えなかったので、思いを寄せていること自体もイマイチ腑に落ちませんでしたし、石田への贖罪として色々な人と引き合わせようとしたり、"石田のために"西宮を責めたりすることにも違和感を感じました


そんなふうに見えてしまっていたので、最後唐突にデレて手話を覚えたりするのも、「みんな植野ってキャラクターに納得できないかもしれないけどこれで許してよ」って感じに制作が焦って付け足したように邪推してしまいました



物語を引っ掻き回すために生み出された舞台装置的なキャラに見えてしまいましたね




これがもっと小学校時代虐めの傍観者として石田を気にかける様子やその葛藤をしっかり描くだとか、植野を咎めるキャラクターややり取りを描くだとかができていれば、植野というキャラクターに深みが出てもっと違ったと思います



奇譚なくはっきり物事を言うキツイ女キャラクター自体は好きですし、キャラデザも可愛かったので、ただただ残念でした




あとは……


全体を通して、西宮もキャラクターが少し見えづらかったですかね


小学校時代の西宮は

無理に他人と合わせようとするが避けられ、段々と孤立していく悲愴的な側面
石田が虐められるようになってから彼の机の落書きを拭く心優しい側面
しかし一方で石田と取っ組み合いをしたことからも分かるように、ただ黙ってるだけの聖人というわけでもない人間らしい側面

そういう3つの顔から構成されていたと思うんですが


これが高校生になると3つの人間らしい側面というのがまるで削られてしまっていて
なんだかもはや聖人に近い何かになっていた気がします

あそこで取っ組み合いの描写を入れたのはなんだったのか……



まあでもこれに関しては時を経るにつれて西宮の人間らしい側面が深く抑えられていったと考えればそこまでおかしいことでもないですね
元々人付き合いのために人間らしい部分を押し殺すキャラクターですから




そんなわけでメインである石田と西宮のストーリーは良かったのですが、川合や真柴、それから植野などのサブキャラクターたちの描写不足によってメイン二人のストーリーが汚されてしまっているなあという感触です


西宮が石田と再会した瞬間に心を許してしまっているように見えるのもちょっと不満なので、川合と真柴を削ってその分の時間でそこを補填してほしかったですかね






 ■ 2時間に収めるのは無理があった?




実は元々原作が話題作ということもあり、読み切り版は読んで連載版は読んでいない僕でも少しは内容を知ってるんですが……

原作ではもっと石田と西宮以外のサブキャラクターたちも掘り下げられているみたいですし、結局映画という形で2時間に収めることに無理があったんじゃないかと思うんですよね


前述したとおり、『コミュニケーションの難しさ』がテーマみたいですが、原作はサブキャラクターたちの掘り下げも含めて『コミュニケーション』を描いてるのでしょうし、石田と西宮だけしか満足に描けていない時点でテーマも何もないと感じます



そんなわけで、原作の方が良さそうだなーという匂いを残しつつも、メインの二人のハッピーエンド?と結弦の可愛さに誤魔化される映画でした



ゆづる



悠木碧は演技幅が本当に広いですね







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  1. 2016/09/26(月) 16:13:54|
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